銀の猫 朝井まかて

読書感想

あらすじ

「介抱人」  それがお咲の仕事である。

身内に変わって身体の不自由な老人を介抱する。大人しい老人なんてほんのちっとしかいない。罵詈雑言やものを投げつけられたり、臭いもあるし、眠れないしで、体も心も日々くたくたになる。それでもこの仕事を止めないのは、実入りが良く、早く借金を返せると思ったからだ。

嫁ぎ先を離縁され、一緒に暮らそうと言ってきた母親はろくでなしで、お咲はこの母親の代わりに働いて借金を返している。

おっかさんなんて捨てちまいたい。借金なんか知るもんか。そう思っているのに。そう思えたら楽なのに逃げないのは。…本当の気持ちは胸にいる銀の猫しか知らない。

感想(ネタばれあり)

この作品にはテーマがふたつある。ひとつは老人介護について。

先日大学時代の仲間数人と会ったのだけど、2時間くらいの時間の中で話した内容が「健康5割:推し活3割:家族の話2割」という感じだったんだけど、自分たちも将来家族やひとの迷惑にならないようにどうすればいいか、そういうことを真剣に考えざるを得ない年代になったのだわとしみじみ思った。私自身は30代で両親もまだ自分たちでなんでもできるけれど、周りにはすでに両親の介護が始まったという知り合いもいる。

介護については現代の問題のひとつであるけれど、人が老いていくのはこの世に人類が誕生したときからはじまっていたことなのに、なぜか「江戸時代でも同じ問題を抱えているひとがいたのか」と初めて思った。なんというか、昔のひとは老人を世話するのが当たり前で、辛くても我慢し、こんなの問題視すらしていないと、すごくバカで浅はかな考えだったことに気づいた。んなわけあるか。どんな時代であったって辛いわ!この時代って跡取り(男)が介護するんだ…!今と同じ、義理であっても女側がするのかと思ってた。そしてやっぱり他人でなければできないことはある…と強く思った。

もうひとつは母娘問題について。

天切松の感想のときも言ったが、私は親なんて許さなくていい、捨てていいと思っている。自分が受けた傷を、大丈夫なんて思わなくていい。だから母親を捨てないお咲に、愛情を求める気持ちを、母親に期待することを止められないことに批判の気持ちではないがイライラとしていた。捨てきれない気持ちがわかるからだ。だからお咲にはさっぱり捨ててほしかった。子供のころ、喜ばせる方法が分からなかった、だから許してくれと言われたって、借金をこさえて炊事洗濯もろくにしないことを許せるわけない…と思うのは、きっとわたしが一方で家族に愛されていたから言えることだとも思った。許したいとおもうひとは、愛されたいと願ったひとだと思った。

私自身家族にも許せないひとがいる。死んだからって、離れたからってあの時の傷は癒えないと思っている。救ってほしいのはいまじゃなく、あのとき傷ついた自分だから。

一方で心から愛する家族もいる。だからこそ、許さなくていいと思うし、許したいと思う気持ちもわかる…と自意識過剰ながら思うのだ。

介護とつなげるんだけど、わたしは、愛する家族こそ介護ができないと思っている。嫌いになりたくないからだ。美しく楽しい思い出がもし、疲れや病気のせいで憎しみになってしまったらと思うと不安でしょうがない。優しいあのひとが鬼に見えてしまったら。

最後まで笑って過ごせる家族がひとつでも多く増えますように。そのための医療や福祉の発展と充実を実現させるために、みんな投票しようね…(タイムリー)


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